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カテゴリー「懐かしネタ」の3件の記事

皆さんとともに童心や青春時代に帰るネタ集。分野は多彩。

2016年10月15日 (土)

昭和のヒゲ剃りをアテてみた

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 はいよ~。近頃“本ネタ”にも“日常ネタ”にも喰いつきが今一つ(泣笑)な気がするんで“懐かし”のを。

20161015012016101502201610150320161015042016101505201610150620161015072016101508 ここ数年の間、いつものワタシは夜にシャワーを浴びながら顔を濡らして石鹸でゴシゴシ洗い、“Rたろう先生”に揶揄されるアブラギッシュな成分をよ~く取り除いたのち、もう一度顔中を石鹸泡まみれにして、KAIK2(カイけ~つぅ~=解決の洒落らしいデス、確か)って、世の中に出回ってるヒゲ剃りの中でおそらくもっとも安いヒゲ剃りで縦横に剃りまくるのですが、一昨日にたまたま替え刃までも全部使い切っちゃってるコトが判明し、「う~、コレ切れないよぉー。何かないの?ホカに。」ってヒトコト云ったらば出て来た箱がコレ。

 おおっ!ジレットアクタスプラス(今でも替え刃はあるみたい:笑)、ミョーに立派だ。柄のジジ臭いデザインがいかにも昭和レトロっぽい。ワタシが婿入り道具として持ってきた物品なのか、ずいぶんと年季が入っている御様子。その存在はスッカリ忘れてたケド、ワタシが結婚する以前から、ずぅ~っと自分の部屋の中で眠っていたような気がするワ。

 然れども、すでに二枚刃にはなってるし、今では上記のK2にすら着いているスムーサーもこの頃はまだまだ出始めで、台紙の裏側でも「ここが違う」と恭しく特長として謳われております。・・・ま~、ウィキ先生と云うのは、真偽の程はともかくとして物事を大掴みにするにはたいしたシロモノでありまして、あろうコトか安全剃刀なんて項目がありました。ひと通り目を通してみると、1901年にジレットが取得した特許から100年以上の歴史があるとの由、ベンキョーになるなぁ。大体、スーパーのレジの横あたりに各メーカーの色々な種類のカミソリがぶら下がってるワケですが、数年前に4枚刃で電気による振動発生ギミックが装着されたあたり(ソコまでは買った)で、ソレらは本体よりも替え刃がモノすごく高い(この商法はパソコンプリンタのインクがメチャ高いのと一緒)コトに気付いて「もう、ボクはK2でいいや」となってしまったので知らなかったのですが、今では最高七枚刃ってのまであるらしい(アホ?)。あ、ところで、肝心の昭和の剃り味はどうか、ですって?ん~、なんかあんまり剃れん(泣笑)。やっぱ、30年の間に地味ながら品質競争をしているのですね。使い捨てなのに意外にもよく剃れる新品のK2が気楽でいいや。やみくもに刃の枚数を増やせばいいってモンでもなさそうだと思うのは、じっくりと時間を掛けて温かいシェービングフォームを泡立てつつ、しっかり砥いだ髭剃り(片刃の)でプロが頬をアタってくれるあの感触には忘れ得ぬモノがあったからこそ。ツルっツルになったモンなぁ、ホント。今ではソレも千円理容に行くようになり味わえなくなりました。とまれ、昭和の髭剃りは作りがプラスチッキーでないところがいいですね。柄の持ち心地が柔らかいのかな?30年近く前の若い頃に、つかの間戻れた気分でしたヨ。皆さんは“オトコのたしなみ”ヒゲ剃りにコダワリをもっていらっしゃいますか?

 それじゃー、また来週。今週も皆さんに感謝!これからワタシゃ、結構な過密スケジュールなのデス。

 マセラティでイッてみよう!Part2・Part3・V3(ブイすりゃ~)を通したすべての過去記事への一気到達用ページ(このページが便利です。“お気に入り”にブックマークを!)を新設いたしました。

 このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。

2016年6月28日 (火)

光線銃、ウルトラマシン、ラブテスター

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 ・・・って、なんだか表題が、いちおうは川柳っぽく仕上がってはいるなぁ(笑)。

2016062801_32016062802_220160628032016062804 ・・・とにかく、先日ネットサーフィンをしておりましたら、「伊集院光 日曜日の秘密基地 友達の家に飾ってあった謎のライオンの楯(音出ます、注意!←面白いので、出来れば聞いてみてください)」と云う、ムカシのラジオ番組の音源にたまたま流れ着いたワケですが、もう、この“謎のライオンの盾”って題名見たダケで、「コレきっと“光線銃SP”のライオンがオチだぜっ」と嘯いておりましたら、紆余曲折あって、結局ホントに“光線銃の的”であったエレクトロライオンがオチとなっていて、もう嬉しいの懐かしいのと云ったら。もっとも当時ワタシが買って貰えた“的”は、一番安い製品であった“ジャンピングボトル”であったのですが、コッチはライオンの1/3のコストで遥かにリアルだったので、ワタシは、コレを持ってた“H谷川”君の家に行っても、ライオンなんか羨ましくもナンともなかったモンねーっと、ホントに思ってました。ソレにしても、この光線銃、トリガーを引くたびに「ぺし・・・ぺし」っと、いかにもチャチい“生のメカ音”がするダケで、まったくもってリアル感ゼロな逸品でありましたヨ。コレで安い方の銃(GUN)でも、当時980円って・・・高ぇーよな。

20160628052016062806 コレも持ってたなぁ、ウルトラマシン。小学校三年生の11月に、誕生日プレゼントとして親父が買ってきた覚えがあります。コレも遊び倒しましたねぇ。本体マシン(音出ます、注意)の方は結構丈夫ながらサスガに途中で天寿を全うしたのですが、付属品に過ぎない“伸び縮みバット”の方は、かな~り後年まで兄弟間でベシベシするのに使われて(笑)おりましたヨ。このピンポン玉状のボールが卵を積んだボウルの上に飛んできて乗っかるという、テレビコマーシャル映像も思い出されて懐かしいなぁ。

20160628072016062808_4 「♪てすたぁーてすたぁーらぁぶてすたぁー、だれとだれとが、あいしているかぁー(中略)あーなたーとダレかのー、あいじょうてすーと、ラーブテスターっ!」とにかく、このあたりの任天堂の玩具のコマーシャルは、かつて東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の夕刻18:45からやってた“まんがの国”って題名の、ポパイとかマイティハーキュリーとかトムとジェリーなど、なにしろ洋物激旧アニメばかりをテキトーに流す番組の幕間に流されていたのが懐かしく思い出されます。ところで、今もあるんだラブテスター(信じがたい:笑)。

 そんな、昭和38年生まれのコドモを魅了しまくった“任天堂のファミコン以前玩具”ばかりをフィーチャーしたサイトを発見いたしました。外国の方がこのようにアツく日本のサブカルチャーを語り残してくださるのは、ホンに有難い。光線銃SPのあらゆるバリエーションはこのサイトでしか見るコト能わずであると思います。

 それじゃー、また明日。

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2016年6月13日 (月)

1982年、19才。

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 まぁ、朝っぱらから、大雨がザンザン降り続いた一日でした。そんな本日からは想像出来ないくらいに、麗らかであった昨日の日曜日。ちょっと思うところあって、午前中は光が丘公園の(デポ側から見て)反対側まで、本当にプラプラとゆっくりゆっくり歩いて行きました。

20160613012016061302201606130320160613042016061305201606130620160613072016061308_2 ・・・やはり、イヌも歩けば棒にアタるとの諺がありますように、タコが近所を歩いてみた(笑)ら“1982年”を瞬間真空凍結保存したかのような空間に迷い込みました。

 どうやら、この一帯は最寄り駅が東武東上線の下赤塚か東京メトロの地下鉄赤塚となるあたりらしい。かつて米軍の接収地グラントハイツであった現在の光が丘周辺が東京都に返還されてすぐに当時の住宅・都市整備公団(現在のUR都市機構ってコトでいいんだよな?)がテナント付のマンション物件として分譲したり賃貸したりしていた地域なのでしょう。とにかく、いわゆる“光が丘公園一帯”と目されている地域の中で、もっとも早い時期に開発提供された場所。ここは、いつもの練馬区光が丘や旭町、和光市白子でもなくて、板橋区の赤塚新町と云う住所となっております。

 さして広くない道路、その両岸対面に練馬区立小学校と板橋区立小学校が向き合って建っている場所がこの近所にあるのですが、街が形成されていった過程を知らなければ、少子化流行の今となっては奇異な光景でしかありません。朝早い時間帯であるにも関わらず、テナントのスーパー内は老人客(しかもお一人様の)でごったがえしています。子供連れなんてほとんど居ない。柱に張られたプレートを見れば、昭和57年に出来た店舗なのか・・・1982年、ワタシは大学浪人中で19才でした。“たこヨメ”がスーパーで買ってきた発泡酒でノドを潤しながら、若干、狼狽しつつ目の前の“初めて見たケド、どこか懐かしい”団地風景を見上げます。「あ、あう~。2016-1982=34・・・築34年?!」この界隈は小中学生の頃にも散々自転車で走り回ってたハズでしたが、もちろん当時の面影などはほとんど無く、公園の向こう側の高校を卒業して、スッカリこの周囲に寄り付かなくなった頃に出来上がった“知らない(新しい)風景”すらも、いまやセピア色に見えているなんて。かくて、昭和の方は絶望的な距離を感じられるホドに離れて行ってしまいましたが、ギリギリ平成だったら、ワタシの持っている“ナニか”を最大限発揮すれば取り戻せるかなぁ。コレからしばらく、平成ヒト桁世代のマセラティを御案内してまいろうと画策しております。

 それじゃー、また明日。

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